東スポを超える日本一のタブロイドを目指す!(笑)
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■相撲人成村常世と勝負する語 第二十五

今は昔、円融天皇の御代、永観二年の七月?日に、
堀川院で相撲の節会が行われた。

さて、選抜試合の当日、左の最手(ほて。)である真髪成村と右の最手である
海恒世が呼び出されて取り組むことになった。成村は常陸国の相撲人であり、
村上天皇の御時以来、相撲を取り続けて最手にまでなった者で、体格も力も抜群で
あった。恒世は丹後国の相撲人である。これも村上天皇の御代の末の頃から出てきて
取り続け、最手にまでなった者で、体格は成村より少し劣っているが、技は実に
上手であった。

(略)

成村は怒気を含んで立ち上がるや、がむしゃらに寄って行き、組み合った。
恒世は片手を首に回し、いま片手で脇をさしにいった。成村は前袋を引き、
横みつを取って、恒世の胸に胸を押しつけ、しゃにむに引きつけるので、
恒世は小声で、「気が狂われたか。いったいどうなさるおつもりじゃ」と言ったが、
成村は耳をも貸さず、強く引きつけ、外掛けを掛けようとする。それを待って
逆に内掛けにからみ、のしかかるように体をあずけて浴びせ倒すと、
成村はあおむきになって倒れ、その上に折り重なるように、
恒世が横ざまに倒れかかった。

その時、これを見ていた上中下のすべての人々は色を失った。
相撲に勝ったほうは、負け方に対して手を叩いて笑うというのが恒例になっている。
ところが、この勝負は重大事と思われていたからであろうか、声も立てずひそひそと
言い合った。

(略)

左方右方の最手同士が勝負をするのは格別に珍しいことではない。通常のことである。
ところが、天皇がその年の八月に退位なさったので、「左右の最手が勝負をするのは
不吉なことだ」と言い出す者があって、それ以後は勝負をすることがなくなった。
これは理に合わないことである。退位されることはこの勝負にはまったくかかわりが
ない。

(略)

それでもやはり、成村と恒世は勝負すべきことではなかったと、
世間の人は非難申した、とこう語り伝えているということだ。

※「今昔物語集」


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