東スポを超える日本一のタブロイドを目指す!(笑)
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7 日ソ国交回復交渉(2)

1956年7月、モスクワで日ソ交渉が再開された。この交渉では重光葵外相自身が
全権代表としてモスクワへ赴いた。同氏はかねて日米関係を重視し、対ソ強硬派と
目されていたが、二島(歯舞・色丹)を最終譲歩とするソ連の意思が動かし難い
ことを知り、ソ連案~二島引渡しプラス国境画定(すなわち国後・択捉を含め
千島及び南樺太はソ連領として認める)~で平和条約を締結しようとした。
しかし、、東京からは、この際直ちにソ連案に同意することについては
閣内こぞって強く反対し、また国内世論もすこぶる強硬であると判断される、
として妥結を見合わせ、冷却期間をおくため、折から開催されたロンドンの
スエズ運河会議に出席するよう要請する訓電が届いたといわれる。

同年8月19日にロンドンで行われた米国ダレス国務長官と重光外相との会談に
おいて、重光外相が日ソ交渉の状況を説明したのに対し、ダレス長官は

「もし日本がソ連に千島の完全な主権を認めるなら、
 我々は同様に琉球に対して完全な主権を主張しうる地位に立つ」


「もし日本が千島の主権を南北に分けることが可能かどうかを問うのであれば、
 米国は再考するかも知れない。
 米国はすでに北部琉球(注:奄美のこと)を返した」


と述べた。
重光外相は、米国の解釈がそのように固いのであれば日本は再度対ソ努力を継続する、
日本の論議は国後・択捉が固有の領土だというにある等と答えた。

※北方領土問題の経緯【第4版】
 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 697(2011.2.3.)

※ダレス・重光会談の記録は、Foreign Relations of the United States
 1955-1957, Vol.23, Pt1, 1991, pp. 202-204(英文)

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/pdf/0697.pdf
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